自己

人間は合理的なのか

ビジネスの場で要求される合理的判断能力。

その言葉を聞く旅に、人間というものは時には感情に支配され、本能のまま動いてしまう場面はあるにせよ、仕事という場面において合理的判断ができなになんてことがあるのだろうかと時々考えることがある。

 

勿論、合理的な判断には間違いなく知識や知恵、経験など多方面からの考察が必要である。

つまり、合理的に考えなさいというフレーズは、その場の努力でどうにもならないものだということなのだ。

 

ということは、そういう類の指摘は間違いなく、今行わせるために言うものでは無く、合理的判断ができるように普段から考察する癖をつけておくこと、つまりこれからの行動としての指摘としては正しいものだと考える。

 

 

人間は確かに合理的な生き物だ。

何かをしようと試みれば、まず勉強してそこから問題を解いていくというような行動をとるだろう。

 

では逆に、合理化する生き物だと捉えることはできないのだろうか。

例えば、混沌としている中で何か納得いかないことがある時、何かしらの秩序を見つけて納得しようとすることはないのか。

その順番というのは、必ずしも一方方向というものではないのではないだろうか。

 

 

このように多方面から、また時には全く別の仮説を立てて経験則、または過去の事例を元に考えていくことは興味深い。

 

新しい言葉を学んだ時に抽象的に考えるのではなく、もっと具体的にスケールを落としていくこの思考遊び。

ぜひ、参考にしていただけたらと思う。

 

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